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日高見通信 | ||
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日高見の風 第4号2009.2.15発行より 一覧 |
15周年を期に 記念企画商品や事業展開 皆様こんにちは。世界的大不況の嵐の中で明けた2009年も、早や2月半ば。新聞紙上もリストラの記事を見ない日はないくらい暗い話題で埋め尽くされています。派遣切りなどの記事も他人事のように思っていましたが、息子がまさかの雇い止めに遭い、世相の厳しさを肌身で感じさせられた年明けとなりました。 息子には、一歳になる男の子がいますが、遠い栃木での暮らしに見切りをつけ、1月末から狭い我が家に同居を始めました。思わぬ展開に戸惑いながらも、私にとっては楽しい毎日。「孫」という流行歌に歌われる歌詞の意味を初めて実感しました。孫の顔を毎日拝める幸せはこの上ないものですね。 今年は当社創業15周年の節目の年でもあります。現在、様々な記念事業の計画を進めております。 例えば、自分史とDVDをセットにした「マイライフメモリーセット」の販売や千日回峰行を成就された慈眼寺の塩沼亮潤大阿闍梨の講演会、自費出版フェアーなどを実施したいと考えています。これまで当社を支え、ご愛顧いただいた皆様方に心から感謝申し上げるとともに、変わらぬご支援をお願い申し上げます。 一覧へ戻る |
コラム ▼「10代で出合った一冊の本が、人生を決めることがある。」先日、新聞の読書欄記事が目にとまった。人気作者が各地の学校(中学校など)を訪問し、読書体験を基に本の世界へ誘う活動という。講師は一昨年『カラマーゾフの兄弟』新訳を手がけた亀山郁夫氏。紹介作品は氏が14歳に読書体験のドフトエスキー『罪と罰』であった。人を殺める主題を基にした問いかけに、生徒たちは難解なロシアの文豪に親近感を抱き、そして興味深い発言に繋がったと言う。その新訳作品は古典ながら100万部を超える売上を得、最近の古典文学ヒットの火付け役になったらしい。▼さて読了を積み重ねてきた皆さん、多感な年頃を思い起こし、意中の一冊を読み返してはどうだろうか。あらたな感性と出合えるかもしれない。T 一覧へ戻る |
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![]() 御利益大の歓喜天 |
もりおかの歴史?A 永福寺 ![]() 「盛岡」の地名の由来となった寺 盛岡市編の「もりおかの地名」によると、盛岡の地名の起こりは、慶長二年(一五九七)に三戸南部氏が「不来方城」の跡に「盛岡城」の築城を始めたときと記されています。不来方城はこの地方の中世武士だった福士氏の居城で、戦国末期に南部氏が岩手郡に進攻したとき、いち早く旧縁のあった南部氏に帰属したと伝えられています。その南部氏に深い関係のあったお寺が永福寺であり、二十九代南部重信公が永福寺四十二世清珊(せいさん)法印と次の連歌によって「盛岡」の地名が定められたというものです。 幾春も華の恵みの蕾やこれ(上の句) 重松公詠歌 宝の珠の盛る岡山(下の句) 清珊法印詠歌 ところで盛岡の地名の由来となった永福寺とはどういうお寺なのか以前に熊谷清海住職に伺ったお話を要約。 永福寺は、寺伝によりますと延暦十三年(七九四)、坂上田村麻呂が青森県八戸市に十一面観音をまつる祈願寺として開創されたとされています。 その後鎌倉時代に南部藩初代光行公が糠部五郡の領主となり、居城を三戸に移すとともに南部氏累代の祈願所として篤く信仰されました。さらに、元和三年(一六一七)南部二十七代利直公が居城を盛岡に移転の際、寺領八百六十石を賜り、下米内村山岸(現在地)に移転されました。 永福寺は、盛岡城の北東・鬼門鎮護の祈願所、盛岡五ヶ寺の筆頭寺であり、約三万坪の境内には、本堂歓喜院、護摩堂、六供坊、六ヶ寺などの伽藍がそびえ、末寺、支配寺等最も多く隆盛を極めたといいます。しかし、明治元年の神仏分離・廃仏毀釈により、東坊と墓地だけを残し寺地の大半と堂宇伽藍は召し上げられ処分されてしまいました。 現在の本堂はかつての東坊の場所に昭和二十二年に再建されたものです。 寺内には弘法大師像、水掛不動さんなどが目を引きますが、なんといってもご本尊である「大聖歓喜天」(盛岡市指定文化財)は御利益抜群とか。どの宗派の方でもお参りでき、お題目も何もいらず、ただ自分の望むことを心に念じるだけで望みが叶うと言われています。 御利益大の歓喜天 一覧へ戻る 歓喜天の本尊は「十一面観音立像」。そして、除災招福の修法本尊は、十一面観音の応化身とされる「歓喜天尊像」なので加持祈祷の本尊といわれています。これは、密教の曼陀羅思想に基づいており、唯一絶対の仏様である大日如来の真理を具象的に表現したのが十一面観音などの仏様で、仏様が人々の手助けをするために神様となって出現されたのが歓喜天などの天尊であるとされています。 人々の身近な願いを叶える歓喜天に祈ることは、十一面観音、大日如来にも祈願することにもなるので、直接に願いが届けられ除災招福が実現するとされています。 文化財指定の寺宝 一覧へ戻る 永福寺に伝わる寺宝の一つ「南部重信公兜神」は、連華座に立つ象頭人身の双身像。 両天とも法衣をまとい、組み手は互いに脇腹に置いています。重信公の兜神と伝えられ護持されてきました。 また、南北朝時代作の「聖天画像」は頭頂に円光を描いた大日如来の変化身を現しています。いずれも盛岡市指定文化財。 五月の第二日曜日は春の大祭、十月の第二日曜日は秋の大祭法要が行われ、普段は拝むことができない寺宝が展示されます。 鳥居から中は、肉、魚はもちろんたばこもひかえなくてはなりません。 何しろ南部の殿様も下馬で参拝された由緒あるお寺ですから、襟を正しての参拝をおすすめします。 |
新刊案内 | 一覧へ戻る |
![]() 一杯の御飯 |
心で語る童話集「一杯の御飯」 畠山貞子著 A5版八二頁 定価一〇〇〇円 「キツネのすきずき」「クモの巣学校」「不思議な手」など全部で二十一の童話を収録。橋本和子、山内路子両氏の味わいのある挿絵が読み手をさらに作品の世界へと導く。後半にある「地天女」「脱衣婆」は江刺市、「紫 一覧へ戻る |
![]() 新堀村のアン |
「新堀村のアン」 佐藤明美著 四六版二〇六頁 定価一八〇〇円 著者が短歌づくりをはじめたのは、「進もうと思った道に挫折し、恋愛につまずき、結婚に失敗した頃」(まえがきより)という。思うようにならない人生、自信を失った著者に生きる勇気と楽しみを与えてくれたのが短歌だったと語る。家族との深い絆が読み取れるほのぼのとした短歌の他に、農作業風景を詠った詩・エッセイも挿絵入りで集録。 一覧へ戻る |
![]() お神楽初恋巡演記 |
「お神楽初恋巡演記」 吉岡義三著 A5版一一八頁 定価一〇〇〇円 舞台は昭和初期の岩手県北の山村。小学3年の著者は初めて神楽を見た。「怖いような気がしたが、神楽は面白いもんだな」と思ったのが、お神楽人生の一歩を踏み出すきっかけとなった。戦争のため、一時中断を余議なくされたものの、再び復活したお神楽巡演。村中の老若男女の熱烈な声援を受けながら、著者の演技に磨きがかかっていく。淡々と綴られた文章の端々に懐かしくも生き生きとした昭和の哀愁が蘇る。 一覧へ戻る |